フメリニツキーの乱

フメリニツキーの乱, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1733432 / CC BY SA 3.0

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#ボフダン・フメリニツキー
フメリニツキーの乱(フメリニツキーのらん、ウクライナ語: Хмельни́ччина、フメリヌィーッチナ)は、1648年から1657年までの間、ポーランド・リトアニア共和国の支配下にあったウクライナにおいて、ウクライナ・コサックのヘーチマン(将軍)ボフダン・フメリニツキーが起こしたコサックの武装蜂起である。
この蜂起はウクライナ対ポーランドの大規模の戦争に発展し、ポーランド・リトアニア共和国の衰退を引き起こす一方で、ウクライナ・コサックによるヘーチマン国家の創立と、戦争に介入した隣国ロシア・ツァーリ国の強化という結果をもたらした。
フメリニツキーの乱は、東ヨーロッパの政治地図を大きく切り替え、17世紀半ば以降当地域に住む多数の民族の運命を決めたので、東ヨーロッパ史上の最大の軍事衝突の一つだったと考えられている。
ウクライナ史学においてのフメリニツキーの乱は、ウクライナ民族解放戦争、コサック・ポーランド戦争、あるいはコサックの革命とも呼ばれる。
日本における歴史学研究では多くの場合、ポーランド語風にフミェルニツキの乱と書いたり、ロシア語風にフメリニツキーの乱と称している。
16世紀末から17世紀前半までの間、ウクライナは、ポーランド・リトアニア共和国の支配国ポーランド王国の支配下に置かれていた。
この地域では、キエフ・ルーシの時代以来、ポーランドの本土と異なる民族、宗教、言語が存在していたため、ポーランド王国にとっては統制しづらいところであった。
そこで、ポーランドは、同化政策を進めて現地の貴族を積極的にポーランド化し、ポーランドのカトリック教会とウクライナの正教会をブレスト合同で合併することによって東方典礼カトリック教会の一派であるウクライナ東方カトリック教会を成立させて宗教問題を解決しようとした。
こうしたポーランドの政策に異を唱えたのはウクライナ・コサックであったが、1620年代 – 1630年代における彼らの蜂起はポーランド政府軍と貴族軍によって鎮圧された。
1648年の時点で、ポーランド・リトアニア共和国はヨーロッパにおける列強の一つだった。
その隣国である西のドイツ(神聖ローマ帝国)と北のスウェーデンは1618年から1648年の三十年戦争に懸かり切りとなり、東のモスクワ国家(ロシア・ツァーリ国)は動乱時代とスモレンスク戦争から回復しておらず、南のオスマン帝国はイェニチェリの反乱と経済問題に悩まされていた。
それに対してポーランド・リトアニア共和国は、バルト海から黒海まで広がる膨大な領土を有していて、ロシア・ツァーリ国とオスマン帝国との戦いで連続的に勝利をおさめ、経済と文化が栄え、17世紀前半は「ポーランド・リトアニア共和国の黄金時代」と呼ばれるほどの全盛を極めていた。
しかし、表面的には磐石に見えたポーランド・リトアニア共和国であったが、国家の内政制度は腐食していた。
従来からポーランド・リトアニア共和国の王の権威が低かった上に、17世紀以降、中央と地域の行政機関では汚職が進み、国家に対する貴族の義務意識が薄くなり、政府と軍では実力の有無に拘らず縁故者登用が行われた。
さらに、法律上では、支配階級である貴族と被支配の非貴族の他者との間に「ポーランドは貴族にとって天国であり、農民にとって地獄である」と詠われたほど著しい権利の差が存在した。
貴族の領主たちは、経済発展のために農民を農奴にして広大な農園地で働かせ、農園経営を異国人のユダヤ人、アルメニア人やドイツ人などに任せた。
こうした諸問題は、ポーランド王国の本土から離れたウクライナにおいてより一層深刻化し、民衆の不満が募るようになった。
それに加えて、軍人資格と自治権を有していた数万人のウクライナ・コサックは、1638年の叛乱の失敗以降、ポーランド王国と現地の貴族の政策によって農奴化されて権利が奪われたので、ウクライナでは大きな反乱を爆発させる要因が整っていた。
ヤン・マテイコによる17世紀半ばの東欧軍人。
左から右へ: 銃士、喇叭手、軽騎兵、重装騎兵、ハイドゥーク、歩兵長。
フメリニツキーの乱のきっかけとなったのは、1647年の出来事であった。
中部ウクライナを支配していたポーランド系の大貴族コニェツポルスキ家の家人でチヒルィーン町の副長官のダニエル・チャプリンスキは、ウクライナ・コサックの軍隊書記官であったボフダン・フメリニツキーの知行地を襲った。
副長官は、フメリニツキーの留守を狙い、彼の屋敷を灰燼に帰した上、3男を殴り殺して恋人のモ…

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